ちびまる子の作者である、さくらももこさんが乳癌で死去していたという速報が流れ、地元静岡でも突然の訃報の知らせに驚きが隠せませんでした。
昭和47年以降の小学校時代と、その頃の家庭の何気ない日常生活を綴った漫画「ちびまる子ちゃん」が、1990年1月7日からテレビで放送されて今年で28年になります。
長寿番組のサザエさんに比べたら、まだまだと言われる方もいるかもしれませんが、ヒット曲も出て、まる子ちゃんグッズも売れて、同じ静岡市に住んでいる私にとっては、ピンクレディと同じくらい大切にしたい、懐かしく青春を共に過ごしてきたような存在です。
皆さんはシーモンキーを飼ったことがありますか?
私事ですが小学校というと、宿題で国語の漢字ドリルや算数ドリルがあって、隣りの幼なじみの男の子がよく学校にドリルを忘れてきて、貸してあげて汚されて返された思い出があります。
ちょうどその頃、シーモンキーという得体の知れない生き物が流行って、小さな水槽が付いている飼育キットで、そこに水を入れてシーモンキーの種のような粉末を入れて育てるのです。
本当に未だに謎な生き物で、微生物にしてはタツノオトシゴのような形態で、立った状態でフラフラフラフラと、水の中を泳いでいるのです。
餌もしっかり付いていて、それをあげるといつの間にか餌を食べて成長していくのです。
最終的にはシーモンキーは1匹も生存することなく、ある日水槽を覗いてみると水しか入っていなくて、餌をあげなかったピラニアの様に共食いして、とうとう最後の1匹になり、しかし最後の1匹がどう消えてしまったのかが、とても不思議でした。
ちびまる子ちゃんにも、このシーモンキーを育てる話しがあり、やはり最後は自然消滅して謎で終わっていて、全く同じ展開でした。
訃報の知らせを聞いて、著名人がコメントを・・・
代表して、吉本ばななさんのコメントです。
ももちゃんは、どんな時でも必ず信じたことを実現してきた人だ。
今回も大丈夫?と書いたら、私凄いね、でも本当にいろいろありがとう。何度ありがとうと言っても足りないよ。
私のありがとうがいっぱい届きますように!と返事をくれた・・それが最後のやりとりでした。
どんなに体調が悪い状態でも、そんなことが言える優しい人でした。
田辺静岡市長からのコメントです。
突然のことで大変驚いております。
さくらさんは、地元のお祭りや動物園が大好きで、大変地元愛に溢れた方でした。
ご冥福をお祈り致します。
静岡市清水区生まれ
さくらももこさんは、静岡市清水区に1965年に生まれて、地元の人達にも愛されている、まる子ちゃんは、静岡市と11年前から深い関係があって、ももこさんがデザインしたラッピングバスや、エコバッグ、そして市役所の名刺にもなっていました。
私も静岡市長に名刺を頂いたことがあり、そこには「静岡市はいいね」と書かれたちびまる子ちゃんが描かれていました。
まるちゃんの静岡音頭と、これから使われてるマンホールの蓋
平成24年、今から6年前に「まるちゃんの静岡音頭」が作られた、PRソングとして使われています。
駿河区丸子にある丁子屋さんや、日本平ホテル、エスパルスドリームプラザ、駿府城公園、用宗漁港などなど広く親しまれてきたPRソングです。
作詞 さくらももこ
作曲 細野晴臣
編曲 小山田圭吾
歌 ピエール瀧
振付 パパイヤ鈴木
そして最近完成したのは、ちびまる子ちゃんが描かれているマンホールの蓋です。
最後のデザインとなってしまいました。
まとめ
本当に日本国内ばかりだけではなく、上海や台湾、タイのバンコクでも速報が流れ、皆さん残念な訃報に驚きが隠せませんでした。
まだまだこれからという時に、ももこさんが大好きだった西城秀樹さんの後を追う様にして亡くなってしまいました。
きっと天国で、秀樹には会っていることでしょう。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り致します。
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