江戸中期までは、遅めの朝食(昼食)と早めの夕食の、1日2食の生活を日本人はしていました。
物心ついた時には、1日3食が当たり前のことになっていたので、その昔は2食ということを知って、少し驚きました。
今は朝昼晩3食をいただいた後に、夜ご飯を摂る人もいたり、小腹が空くと間食を摂ったりが当たり前になっています。
食事もこってり系からサッパリ系とあり、夜中でもコンビニや24時間営業のストアーで手に入るので、いつもお腹の中に食べ物が入っている状態でいるのです。
労働者はカロリーを消費するので、ある程度食べても大丈夫ですが、デスクワークを仕事にしている人が同じように食事を摂ると、カロリーオーバーで消費できない分が内蔵につき、やがて病気という形で現れてくるので要注意です。
では江戸中期に何がきっかけで食事の回数が増えたのか、一緒にみていきましょう。
食事の回数が増えた理由①
江戸中期までは、お公家様は朝食をお昼近くに、そして夕食を夕方4時くらいに摂っていました。
一般庶民も朝起きて、一仕事してから朝食を摂り、その後は遅めの昼食(夕食)を摂っていました。
夜は今みたいに電気がついて明るくなることはないので、早めに就寝していて夕食は、昼食と兼用していたと思われます。
食事の回数が増えた理由②
明暦の大火が1657年にあり、江戸のまちを復興するために、大工や左官屋などが集まってきたので、肉体労働者である職人さんは1日2食では足りず、屋台や飯屋で食事を摂るようになりました。
そして職人さんに、正午過ぎに食事を出す習慣もあったので、それがきっかけだとも言われています。
家を建ててくれる大工さんに、食事やお茶、3時のおやつを出す習慣は、確かに昭和までは残っていました。
食事の回数が増えた理由③
他には武士が体力をつけるために、1日3食摂っていたという説もあるみたいです。
外食文化は、参勤交代から始まったと言われています。
長い道のりを、行列を作って江戸を目指して歩いていき、各地から集結するので宿泊場所や食文化が発達して、屋台などが一気に増えたそうです。
まとめ
昔から粗食な生活は、病気にならないと言われていますが、このストレスの多い現代社会では、粗食生活では体力がもたないと思います。
女性も家庭から外へ向かって進出し、会社の同僚や上司との付き合いで食事することが増え、人間関係の大変さも知るようになります。
海外からの食文化も入ってきて、日本は全てを受け入れてきたので、日本国内でいろいろな国の料理を食べられるようになりました。
日本ほど豊かな国はないと思います。
豊になっていく反面、病人は増え続けているので、やはり健康な食生活は大切ですね。
1日2食から3食に増え、食べたい物が食べられる時代に生きることができて、本当に感謝しています。
全てのものを大切に、生きていきたいですね。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。