豊臣秀吉の長男・秀頼の登場で、豊臣家の若きプリンスへの人気に火がつき、人々は熱狂します。
家康は二条城に秀頼を呼び出し、家康の三男・秀忠のことを考え、豊臣が徳川に従うことを認めさせようとします。
しかし、方広寺の鐘に刻まれた文言により、波紋が広がっていきます。
どうする家康45話「二人のプリンス」放送日時・出演者
- 放送日時:11月26日(日)20:00〜20:45
- 放送局:NHK
出演者
松本潤,森崎ウィン,マイコ,井上祐貴,松本若菜,村雨辰剛,田山涼成,笑い飯哲夫,溝端淳平,淵上泰史,川島潤哉,日向亘,作間龍斗,原菜乃華,北川景子,玉山鉄二,松山ケンイチ,和久井映見ほか
どうする家康44話「徳川幕府誕生」おさらい
家康に楯突き、関ヶ原の戦いでの先駆者として、中心的人物になった石田三成(中村七之助)は、10月1日に、家康の命令によって、六条河原で斬首されました。 享年41歳です。
石田三成の首は、三条河原に晒された後、生前親交のあった春屋宗園、沢庵宗彭に引き取られ、京都大徳寺の三玄院に葬られたそうです。
家康は、茶々(北川景子)から、秀頼と孫娘・千姫の婚姻を約束させられることになり、不満を隠せない様子です。
そんなことがありつつも時は流れ、家康は征夷大将軍となって、江戸に幕府を開いたのです。
慶長8年(1603)2月12日、家康が62歳の時のことでした。
ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)たちと国作りに励みますが、秀忠(森崎ウィン)の頼りなさが、家康の不安の種となっています。
そんな時、家臣である忠勝(山田裕貴)が、老齢を理由に隠居を申し出たのです。
本多忠勝(1548年3月17日生まれ)は、徳川家康(1543年1月31日生まれ)より、5歳年上で、62歳で亡くなっています。
家康は73歳で、駿河の駿府城(静岡市葵区の駿府城公園内)で、亡くなりました。
話は戻りますが、大坂では大野治長(玉山鉄二)が茶々の下に戻り、反撃の機会を伺っていたのです。
⇒ どうする家康44話「徳川幕府誕生」夢が叶った家康は62歳で征夷大将軍となる。
どうする家康45話「二人のプリンス」番組内容
関ヶ原で敗れ、牢人(ろうにん:主人を失い秩禄のなくなった武士)が、豊臣のもとに集結していました。
天下分け目の戦い関ヶ原の戦いとは?
関ヶ原の戦いとは、1600年に徳川家康を中心とした東軍と、石田三成を中心とした西軍が、美濃国(現在の岐阜県)関ヶ原で行った戦いのことです。
天下を統一した豊臣秀吉の死後、力の強くなった家康に反発した三成が挙兵し、全国の有力大名を巻き込んだ戦いへと発展しました。
この戦いによって豊臣家は滅び、家康が江戸に幕府を開きました。
その後260余年に及ぶ徳川の世が始まります。
引用:ベネッセ教育情報
方広寺の鐘に刻まれたある文言とは?
憂慮(ゆうりょ:心配して思案すること)した家康(松本潤)は、豊臣秀吉の息子・秀頼(作間龍斗)を二条城に呼んで、豊臣が徳川に従うことを認めさせようとします。
しかし、初めて世間に姿を見せた、秀頼の麗しさ・美しさに人々は熱狂します。
父親の秀吉よりも、母の茶々に似ている秀頼は、身長も高くなんとも言えない妖艶な魅力の持ち主のようです。
そんな秀頼に脅威を感じた家康は、三男である秀忠(森崎ウィン)のこれからに不安要素を残さないように、家康本人の手で豊臣との問題を解決しようとしたのです。
しかし火種となって拍車をかけたのは、方広寺(豊臣が大仏を再建した寺)の鐘に刻まれたある文言だったのです。
そこには、
「国家安康」「君臣豊楽」
という文字がありました。
「徳川家を呪い、豊臣家の繁栄を祝う」
というふうに、解釈されたようでした。
家康としては複雑ですよね?その後、どう対処していったのでしょう?
どうする家康45話「二人のプリンス」まとめ
母の茶々に似ている豊臣秀頼は、高身長で妖艶な魅力の持ち主で、周囲を惹きつけるものがあります。
家来だけではなく、下々の者たちもつい言うことを聞いてしまうような、そんな力があるように見えます。
きっと家康も焦っていたのかもしれません。
二条城に呼び出し、自分に従うように伝えたのですが、裏には母である茶々がいます。
茶々はなぜか家康のことをずっと憎んでいます。
きっと母であるお市の方様を助けずに、見殺しにしてしまったことを恨んでいるのかもしれません。
しかしその原因を作ったのは、自分の夫だった豊臣秀吉だったのに、逆恨みのような気もします。
家康の息子たちも立派に成人し、業務など引き継ぐ良い機会ですよね〜
そのためにも家康は、なんとか統一していかなければならないのですね。
どう対処していくのでしょうか?
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