どうする家康第4話「清須でどうする!」では、駿河の今川氏真が松平元康の妻・瀬名(築山殿)を愛人にしようとし、側室ではなく愛人とした理由がそこにはありました。
今回は松平元康(松本潤)の妻である瀬名(築山殿・有村架純)を、側室ではなく今川氏真(溝端淳平)が愛人にしようとした理由について考えてみたいと思います。
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「どする家康」今川氏真が松平元康の妻・瀬名(築山殿)を愛人に?側室にしなかった理由とは?
今川氏真(溝端淳平)が、松平元康(松本潤)の妻である瀬名(築山殿・有村架純)を愛人にしようとしているのは、大河ドラマ「どうする家康」の中ではストーリーにありますが、史実にはないとされる描写です。
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瀬名(築山殿)を演じる有村架純さんは本当に美しく、現に瀬名(築山殿)が魅了的な女性であれば、我が者にしたいと考えている人は多かったと考えられますが、歴史上には残されていないのでフィクションになります。
当時の慣習を考えると、他人の妻を無断で奪うようなことはあり得なかったようです。
なので側室にもなれないし、歴史が変わってしまうので愛人にしようと考えていた・・止まりだと思います。
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引用:ツイッター
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「どする家康」今川氏真が松平元康の妻・瀬名(築山殿)を愛人に?正室である早川殿について
氏真と早川殿の二人は、今川、北条、武田の三者で締結された「甲相駿三国同盟」によって、若かりし時に政略結婚をさせられました。
早川殿は、北条氏康の娘であり、最近の研究では、天文15年(1546年)から天文17年(1548年)の間に生まれたとのことで、氏真より8歳から10歳年下だったということです。
天文23年(1554年)7月、氏真は17歳の時に早川殿は7〜9歳に結婚しました。
駿河(静岡市)に向かう早川殿には、大勢の家臣が供奉し、その行列を一目見ようと多くの町民たちが沿道に見物に集まってきたようです。
早川殿の受け渡しは、三島(静岡県三島市)で行われて、その日は良いお天気だったと伝えられています。
「どする家康」今川氏真が松平元康の妻・瀬名(築山殿)を愛人に?政略結婚は当たり前だった
二人の子どもである娘(のちの吉良義定の妻)が授かったのは、永禄10年(1567年)頃であると言われていて、早川殿は20歳前後で氏真が30歳頃ということなので、少し遅かったことがわかります。
政略結婚は、この時代には当たり前のことだったのです。
それも位が高ければ高いほど、親の都合で結婚相手を決められていたのです。
⇒「どうする家康」徳川家康の正室は2人?瀬名(築山殿)ともう一人は誰?どのような馴れ初めで?
元康も瀬名と結婚するようにと今川義元に言われ、祝言を挙げたのです。
そんなこともあって、ドラマの中では美しい瀬名(築山殿)を愛人にしようと設定されたのかもしれませんね!
しかし他人の妻を無断で奪うことは、当時の慣習(あるいは武家家法の規定)としては、あり得なかったことだったようです。
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「どする家康」今川氏真が松平元康の妻・瀬名(築山殿)を愛人に?側室にしなかった理由とは?まとめ
どうする家康第4話「清須でどうする!」では、駿河の今川氏真が松平元康の妻・瀬名(築山殿)を愛人にしようとし、側室ではなく愛人とした理由があり、政略結婚で自由に相手が決められない世に中に対して、今川氏真がとった行動だと思いました。
また元康に信長を撃つように、人質のように瀬名を扱った結果だとも思いました。
戦国の世の中は争い事ばかりなので、女性も巻き込まれて、根気強い人でないと耐えていけそうもないですね!
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